ごあいさつ

宣教師夫婦

大石 剛・デニアオ

大石宣教師は神奈川県で生まれ、5歳の時に家族とともにアメリカに引っ越しました。大人になるまでアメリカのミシガン州で育ち、インディアナ州で神学校に通っているときに妻のデニアオと出会いました。 神学校を卒業してすぐに日本宣教の準備を始めました。アメリカ全体にある教会で二年半ほど宣教アピールを行い、2020年の12月に日本に引っ越しました。いまだに「福音」のメッセージが広まっていない日本にイエスを信頼するチャンスを与えるためにいろいろな場所に教会を立て、福音を広めるビジョンを持っています。

大石 剛

私は無信仰な家庭の中で育ちました。日本で暮らしていた時も、アメリカに引っ越ししてからも家の中で宗教のことを話すことはまずありませんでした。近くに呼びかけをしてきた教会はありましたが、家では日本語で話していたため教会の人が来るたびに両親は英語が話せないことにより断っていました。そして、外で福音を聞くチャンスさえもまずありませんでした。私の父は色々なところで体にけがや病気をもっていました。その上、私がまだ子供であったときに日本からアメリカに引っ越したことによりよくいじめられることもありました。そういう経験をしているうちに自分も無信仰になり、もし神という存在がいるのであればその存在を心の中で憎んでいました。

私が中学生に入りますとクラスの中でクリスチャンで信仰深い者もいました。その時私は父の病気や自分が見てきたいじめを神のせいにしていたので、神を信じている者、特に信仰深く生きる者に対して強い抵抗感を感じていました。私は学校でクリスチャンをわざといじめたりいやな思いをさせてばかりでした。その時期は特に私は方向性と人生の色々な事に迷っていましたので、意味のないことばかりしていました。私が中学三年生に入ったときには自分には生きる意味や希望をなくしていました。その時に鬱病になり、自殺をしようとしたこともあります。その時期には学校から帰ると暗い人生の事実から逃げるためにしょっちゅうパソコンで会ったこともないゲーム仲間たちと話したり遊んでいました。ある夜中、その時友達であったゲーム仲間の一人がキリストの話をしだしました。私はまだ無信仰で神を憎んでいましたのですぐに話を変えたり、そのような話を断っていました。しかし、その友達は毎晩しつこくキリストの話をしました。

ある夜中私はしょうがなくその友達の信仰の話に耳を貸しました。その時私は何も知らなかったので神の愛とイエスの救いのことを細かくみことばから話してくださいました。私は意味なく偶然としてこの世に生まれてきたのではなく、私たちを愛する神様に創造されたことを教えてくださいました。私たちは神とともに生きるために創造されたのに、人は罪を犯し、聖なる神とともにいられなくなったことを教えてくださいました。しかし、その愛する神様は私たちの代わりになって罪による罰を払うために、神との絆を結びなおすためにイエス様をこの世に送り、十字架で死んでくださり、三日目に甦らせてくださったことを教えてくださいました。そして、このイエス様による救いは、無信仰で神から背いていた私のためにあることを示してくださりました。私がこのことを聞いた時に心の中で不思議なことが起きました。これまでは神様の存在すら信じていなかったのに、初めて福音を耳にした時にはどうしてもイエス様を信じて救われたい思いがありました。私はその夜中、パソコンの前でヘッドセットを着たまま頭を下げイエス様を自分の救い主として信じました。

私はその時から神に対しての抵抗感がなくなり、私を救ってくださった素晴らしい恵みに対して強い感謝を持つことになりました。私はその時からイエス様の福音を一人にでも多く伝えられればと思うようになりました。しかし、私を救いに導いて下さったゲーム仲間は私が救われてからはほとんどゲームの話に戻り、信仰の話はあまりしませんでした。それから一年たちました。私はその時空手を習っていて、家族とともにその空手の先生ととても親しい関係を持っていました。ある日その先生が私の家族全体を教会に誘いました。存在が近かったことによりその時初めて家族と教会に行きました。私はそのミシガン州のウォーターフォード町にあるレイククレストバプテスト教会でバプテスマを受け、ユースグループに参加しているうちに信仰が強められました。私は初めてのサマーバイブルキャンプで神様にこれからの人生を捧げ、その次の年に伝道者になる決心を持つことになりました。私が高校卒業する少し前に教会で宣教集会がありました。その時にある宣教師から日本がどのぐらいイエス様の救いが広まっていないことを初めて教わりました。私はその前から心の中で自分は日本へ戻り宣教師になるべきことに気が付いていましたが、私はその宣教集会の招きの時に決心を表しました。今思えば私は日本に福音を延べ伝えるために日本で生まれ、福音がすでに広まっているアメリカで育ち、アメリカでその福音を聞き、イエス様の御名を信じて救われることができたのだと信じています。

大石 デニアオ

私は四代以上クリスチャンで会った家族に恵まれ、とても信仰深い家庭の中で育ちました。私が四歳の時に初めてバケーションバイブルスクールに参加しました。その時に女の先生が私と他にいた子供たちに聖書のみことばを教えていた覚えがあります。教えが終わったときに祈りに招かれたことも何となく覚えていますが、はっきりと覚えているのはその祈りが終わった後にご褒美としてもらえたクッキーだけでした。実際その時に教えてくださったことははっきりと覚えていませんが、私の家族は自分がその時にイエス様を信じ救われたと思っていました。しかし、私は実際その出来事を覚えていませんでしたので、それから四年間自分の救いに対して不安をもっていました。

私が実際に救われ、自分の救いに対して安心を持てることができたのはカリフォルニアのウィルドマール町にある信仰バプテスト教会での出来事でした。私はその時には毎週水曜日のキッズクラスに出席していました。ある日私が八歳であった時にクラスの中である女の子が友達をキリストの救いに導いた物語を聞きました。その時にクラスの先生は生徒たちに天国に行ける自信があるかどうか聞きました。救いの招きの時に私は手を上げました。その時にその先生が私を別の部屋に連れて行き、救われるために必要であるイエス様に対しての自分自身の信仰について教えてくださいました。福音を聞き入れ、私はその夜イエス様を信じ、心に受け取りました。私はそれから間もなく心の中に起こった救いの出来事を外に表し証をするために教会の前でバプテスマを受けました。

救われてから私は前に持ったことのない心の平安を持てることになりました。その時からイエス様から預かった自分の魂の救いを疑ったこともありません。教会もより楽しくなり、特に自分が気に入っていた教会での季節は宣教集会の時でした。毎年私は教会での宣教集会を楽しみに待ち望んでいました。私はいつか自分も宣教師になり、イエス様の名前を聞いたことのない国を回り、そのような人々にイエスの救いと愛を教えることを夢として思っていました。私が中高生の時にユースカンファレンス(中高クリスチャン集会)で自分のこれからの人生を神に捧げ、託しました。私が宣教師として神から選ばれたのは自分が私の夫と結婚をする約束をした時だと信じています。私の神から選ばれた第一の目的は妻として夫を愛し、励まし、聖霊様によるお導きを支えることだと確信をもって努力をしています。私は神に仕える夫を支え歩みながらともに仕えられることに感謝します。


「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、私はあわれみを受けました。それはキリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。 

第一 テモテ 1:15-16

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